いのうえ内科脳神経クリニックの院長の井上健です。
本日はいのうえ内科脳神経クリニックの開院記念日です。
そのようなわけで当院のみならず日本中の医療が健全なものになるように祈りブログを書いてみました。
もくじ
医療者たるもの──正しさと誠実さのはざまで
はじめに
白衣をまとったその日から、私たちは「正しさ」と「信頼」を背負います。
命に向き合うこの仕事は、冷静さと迅速な判断が求められる一方で、常に葛藤の中に置かれます。
ときに正義は他者を裁き、
ときに真実は見えない力によって歪められます。
それでも、医療者である前に一人の人間として、どう在るべきかを問い続けたい。
本記事では、医療者の心の奥にある「正義」「倫理」「誠実さ」に向き合い、
その中で私たちが何を大切にすべきかを考えます。
正義という名の孤独
社会運動でも、医療現場でも、「正義」はしばしば武器になります。
「これは患者のためだ」「この方針が正しい」──
そう主張する言葉は、確かに力を持ちます。
けれども、それが他者を沈黙させ、異なる意見を排除する理由になったとき、
それは正義ではなく、支配になりかねません。
正しさを信じることは大切です。
けれど、**「自分の正義は、誰かを孤独にしていないか」**を問うことも、医療者にとっての重要な感性です。
「共に在る」ことの倫理
技術も知識も大切ですが、それらが届かない領域があります。
言葉を失った患者、病気を受け入れられない家族、答えのない状況。
そうした場面で、必要なのは「何かをしてあげる」ことではなく、「そこに在る」ことなのかもしれません。
弱さや苦しみのそばに立つことは、決して簡単ではありません。
でもそれこそが、医療の根底にある共感や連帯感を支える倫理です。
-
誰も関わりたがらない患者に向き合う
-
理解されにくい訴えに耳を傾ける
-
無力感を抱えながらも、その場にとどまる
医療者の価値は、技術の高さだけでなく、どれだけ人に寄り添えるかにも宿ります。
なぜ真実は曲がるのか
医療現場には、ときに「見なかったことにする空気」があります。
診断ミスや手続き上の誤りを、「報告するより黙っていた方が安全」という力学が働く場面。
-
上司の顔を立てる
-
チームの空気を壊したくない
-
ひとつの過ちで信頼を失いたくない
その気持ちは理解できます。
でもその選択が、もっと大きな信頼の喪失につながることもあります。
勇気ある告白は、一時的に孤独を生むかもしれません。
けれど、それを支えるのは「誰かが見ている」という感覚ではなく、「自分が納得できるかどうか」ではないでしょうか。
正しさより、誠実さを
医療者である私たちは、間違えることもあります。
感情に飲まれ、見落とし、逃げたくなる瞬間もあるでしょう。
でもそんなとき、私たちを立ち戻らせるのは「完璧さ」ではなく、誠実さです。
-
何を守り、何を諦めたか
-
どこに目を向け、どこから目を背けたか
-
自分に恥じない選択をしたかどうか
それこそが、日々の仕事に対する自分なりの答えとなります。
おわりに
「正しいかどうか」ではなく、「誠実だったかどうか」。
それを問う姿勢が、医療者としての信頼につながっていくのだと思います。
目の前の判断が正解かどうかは、後になって分かることもあります。
けれど、その場で誠実に向き合ったかどうかは、自分だけが知っている。
私たちは神ではありません。
だからこそ、自分自身にだけは嘘をつかず、誠実さを軸に働く。
それが「医療者たるもの」の姿勢ではないでしょうか。