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七夕といえば、短冊を笹に飾るが、なぜ笹を使うのだろうか

調べたところ、笹には抗菌効果があり、食べ物が腐りやすい暑い時期は、ご先祖さまへのお供え物などの下に敷かれていたとか。

七夕の日には、お供え物を笹に乗せて川に流すという風習があったらしく、そこから短冊を笹に飾るという風習が生まれたらしい。

現代では、文明の発展のおかげで食べ物の腐敗は昔ほど深刻な問題ではなくなったと思うが、なかなか終息しないコロナ禍を思うと、何か通ずるようなものを感じる。

昔の人が笹を敷いて食中毒を免れようとしていたように、私たちも様々な感染対策を施して、少しでも感染拡大を防ごうとしている。

なかなか終息が見えないコロナ禍であるが、最近明るいニュースを見かけた

イスラエルでは屋内でのマスク着用義務・入国者の制限のみが残り、他の制限は全て解除されたという。

国民の7割がワクチンを1回以上接種しており、2回接種した人も5割を超えたということ。

同じファイザー製ワクチン(あるいは同性能とされるモデルナワクチン)を使用する日本も同じように人口の7割が接種を完了すれば感染はある程度沈静化するのだろう。

国民全員の接種はまだまだと報道も見受けられ、全てが順調に進む保証もなければ、人口の違いなど様々な要因も影響しそうではあるが、正直期待せずにはいられない。

ワクチンがあるからといって、予断が許される状況かといえば、もちろんそうではないはずだ

アストラゼネカ社のワクチンを使用しているイギリスでは、全国民のワクチン接種率が70%を超えても、再び感染者数が増加傾向にあるという。

変異株の影響、ワクチンの性能といった要因も影響しているかもしれないが、いずれにしても、ワクチンを打ったからといって感染防御をやめる理由にはならないということだろう。

現在、フランスで日本人観光客の受け入れが再開されるなど、経済活動の再開が各国で進められているが、最低限の感染対策(マスクの着用、手指消毒、3密の回避など)は継続した上でなされるべきだと思う。

この1年間は、医療従事者にとって非常に陰々滅々なものであったはずだ

だが、ここにきて、ワクチンの確保などが進められ、光明が差し込んできた。

まだまだ我慢の時期は続くと予想されるが、このコロナ禍が終息した暁には、以前にも増して日常を楽しめることだろう。

そのような日常1日でも早く国民の皆様に届けられることを七夕に託したいと思う。

*コロナウイルスと共存すべきという考えもあり、収束か終息かは迷う願いである。