いのうえ内科脳神経クリニックの井上です。
これまでのブログでは、認知症の患者さんと宗教の関係や、祈りが脳に与える影響についてお話ししてきました。今回は少し視点を変えて、認知症の方にどのように言葉を伝えるべきかというテーマについて考えてみたいと思います。
認知症の患者さんに接していると、ご家族や介護者の方から次のような相談を受けることがあります。
「本当のことをきちんと伝えた方がいいのでしょうか。」
「家族が亡くなったことを何度も説明するべきでしょうか。」
「家族の喧嘩は患者さんに影響するのでしょうか。」
医療の世界では、患者さんに正確な情報を伝えることが基本です。しかし認知症のケアでは、必ずしもすべての事実をそのまま伝えることが患者さんにとって良いとは限らない場合があります。
その背景には、認知症の方の脳の働き、特に感情の感じ方や伝わり方が関係しています。近年の神経科学では、人の感情が周囲に伝わる仕組みとして「ミラーニューロン」や「情動感染」と呼ばれる現象が知られるようになってきました。
今回は、
「認知症の方にネガティブな知らせを伝えることの誤り ― 感情が伝わる脳のしくみ(ミラーニューロンと情動感染)―」
というテーマで、認知症の方が感じている世界について、神経内科医の視点から少し整理してみたいと思います。
ご家族や介護に関わる方にとって、患者さんとの関わり方を考える一つのヒントになれば幸いです。
もくじ
認知症では「感情」が強く残る
認知症の方は、出来事の記憶は弱くなります。
しかし不思議なことに
感情は残りやすい
のです。
つまり
-
何を言われたか
-
何が起きたか
は忘れても
-
怖かった
-
悲しかった
-
怒られた
という感情は残ります。
そのため認知症の方にとって
周囲の雰囲気はとても大きな影響を持ちます。
なぜ周囲の感情が伝わるのか
ミラーニューロン
1990年代にイタリアで
興味深い神経細胞が発見されました。
それが
ミラーニューロン
です。
この神経細胞は
自分が行動するときだけでなく
他人が同じ行動をしているのを見るだけで活動する
という特徴があります。
例えば
誰かが
-
痛がる
-
泣く
-
笑う
と、それを見ている人の脳も
同じように反応します。
つまり人間は
他人の感情を脳の中で再現する
仕組みを持っているのです。
情動感染(Emotional contagion)
この現象は心理学では
情動感染
と呼ばれます。
簡単に言うと
感情が周囲に伝わる
という現象です。
例えば
-
誰かが笑うと笑いたくなる
-
怒っている人がいると緊張する
-
泣いている人を見ると悲しくなる
このような経験は誰にでもあります。
認知症ではこの影響が強くなる
認知症になると
-
理解力
-
判断力
が低下します。
しかし
感情を感じる脳(扁桃体など)は比較的保たれる
ことがあります。
そのため認知症の方は
言葉の意味は分からなくても
周囲の感情を強く感じ取ります。
例えば
家族が
-
喧嘩している
-
怒鳴っている
-
不安そうにしている
と患者さんは
理由が分からなくても
強い不安
を感じます。
家族の喧嘩が症状を悪化させる
認知症の患者さんの
-
興奮
-
徘徊
-
攻撃性
は
環境の影響
を強く受けます。
家庭で
-
怒り
-
緊張
-
不安
が続くと
患者さんの症状が悪化することがあります。
穏やかな環境の大切さ
認知症ケアで最も大切なのは
安心できる環境
です。
例えば
-
穏やかな声
-
ゆっくりした動き
-
落ち着いた雰囲気
これだけでも
患者さんは大きく安心します。
認知症ケアの本質
認知症医療は
単に病気を治療するだけではありません。
患者さんが
安心して生きられる環境
を作ることも重要です。
そのためには
-
ネガティブな知らせを慎重に扱う
-
家族間の争いを避ける
-
穏やかな雰囲気を保つ
ことがとても大切です。
最後に
認知症の方は
多くのことを忘れていきます。
しかし
人の優しさや安心感
は感じ取ることができます。
医療者として
家族として
患者さんが
穏やかに過ごせる環境を作ることが
最も大切なケアの一つだと思います。



