もくじ

モーツアルトは1791年12月5日に35才の若さで世を去りました。

死因は対立関係にあった宮廷音楽家サリエリによる毒殺だろうとか、ポークカツの生焼きによる感染症やビタミンD不足など、100以上の説がいわれております。

一部では、頭蓋骨に外傷による骨折の後があったことより、慢性硬膜化血腫ではといわれております。

先日、高齢者の頭痛で慢性硬膜下血腫についてつぶやきましたので、ついモーツアルトのお話をしたくなりました。

で、慢性硬膜化血腫です。

高齢者

軽い頭部外傷

飲酒

この三つが大きな危険因子です。

で、モーツアルトです。

35才

酷い頭部外傷

大酒家

つまり三大要因の二つをモーツアルトは持っていたといわれました

飲酒については、

モーツアルトにちなんだお酒があるくらいです。

そこで、慢性硬膜化血腫の死因説が浮上してきたと思われます。

しかし、その問題の頭蓋骨ですが、モーツアルト自身のものではないかもしれません。

2004年にモーツアルトのお父様のレオポルドや親族な遺骨のDNA鑑定を行ったようです。

その結果、遺骨同士にまったく血縁関係をみいだせなかったようです。

そうなると、モーツアルトの死因とされる慢性硬膜化血腫の危険因子は飲酒のみになってしまいます。

慢性硬膜化血腫はモーツアルトの死因ではないというのが正しいようです。

モーツアルトは天才か?

モーツアルトのご両親は教育のプロでした。

モーツアルトは、天才ではなく、世界で最初に音楽の英才教育をうけた第一人者だ、という説があります。

三歳のころからピアノをまなび五歳で宮廷でピアノ演奏をした。

胎内教育などいわれている、現在では五歳でピアノ発表会にでる子供など少なからずいます。

当時、そのような教育をする人はいなかったと思われます。

その点から考えると、モーツアツトの偉大さよりは、ご両親の教育のたまものということかもしれません。

ただし、モーツアツトの努力は尋常ではなかったようです。

モーツアルトが亡くなる三年前に、手紙を書いております。

自分自身のことを語ってます。

「ヨーロッパ中の宮廷をまわって演奏をしていた幼少児のころから、特別な才能の持ち主だと、いつも言われ続けてます。

目隠しをさせれれて演奏をしたこともあり、ありとあらゆる試練をやらされました。

こうしたことは、長い時間をかけて練習すれば、簡単にできるようになります。

僕が幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。

長い年月にわたり、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考をそそいできた人はいないです。

巨匠といわれる、有名なかたの作品はすべて念入りに研究しました。

作曲家であるということは精力的な思考と何時間にもおよぶ努力を意味するのです。」

*岩田誠先生がモーツアルトは片頭痛もちだったのではないかと推測しております。

それを引用して、わたしも片頭痛もちの有名人としてモーツアルトをよく引用しますが、科学的な証拠は残念ながらありません。